1.17
1995年の1月17日、私は鹿児島に住んでいました。
損害保険の会社に勤務していて、テレビを通して見ている側でした。
その2年後。
関西で3年間暮らすことになり、ご家族を亡くされた方、トラウマに苦しむ方々と出会いました。
さらに1年後、私用で神戸に立ち寄りました。三宮の街でその痕を垣間見ました。
転職先で、復興作業に携わった方々に話を伺う機会もありました。
神戸で暮らし始めて12年。
街はきれいになりました。それでも残っている。
私の実家は鹿児島にあり、今も両親たちがいます。
台風で大きな被害を受けています、毎年のように。何回屋根瓦が飛んで家財を処分したかわかりません。電話口で失意の声を聞くたび、どうしようもない気持ちになります。
末のムスコは生後4日で天に召されました。今年の夏で13年になります。
原因は、常位胎盤早期剥離*1。なぜ、上の子たちのときにしていたように、安静にしていなかったのか。あの瞬間のことを夢に見るたび、そう思います。
今日の昼、訃報が届きました。
長年、孫のように可愛がってくださった方でした。
1.17には関係のない個人の話になってしまいましたね。
1月17日。
この日、震災に関連することばを公の場で発することを控えてきました。
祈るだけか?と面と向かって言われること多々あります。
それでも、祈らずにおれない今日です。
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神戸市
*1:(6)常位胎盤早期剝離 – 日本産婦人科医会
Grade3でした